不思議なもので、人間は意図したこととは別のラインから問題打破のヒントを得ることが多いものです。

僕は干渉の度合いが激しい内科医に掛かっています。もうとにかくしつこい医者です。人はそういう熱心に働きかけてくる対象に対して、まともに対峙することは珍しく、たいていはどうハードルを回避し、欲望を満たすかを腐心します。

サーカスのライオンじゃないんだし、いちいちハードルを飛ぶよりは、そんなもの迂回するほうがまともです。

それで僕はどうしてお酒をやめる決心をしたかというと、ある二人の言動に触発されたからです。

一人目は御年百歳の御老人です。

僕は長年、この方をある事情で車で送り迎えしていたんですが、最後の送迎日に「キミはお酒をやめなさい。それと毎日歩くようにしなさい。それだけで長生きできるよ」とアドバイスしてくれました。

何にせよ、百歳の当人がそういうんだから、これは説得力がありました。

この人に関しては、忘れられないエピソードがあって、出掛けた先で一升瓶のにごり酒をもらってきて、僕の運転する車で帰宅する途中、ずっと一升瓶を胸に抱えていたんです。助手席でね。

それで家に着くと、その方は僕に一升瓶を寄こすんですよ。

その時僕は禁酒一年目ぐらいだったんで「要りません。受け取れません」と断ったんです。

「何故だ?」

「今、酒をやめてます」

「だったら捨てといてくれ」

と、一方的に一升瓶を託されたんですけど、案の定それを持ち帰ったら、禁を破り見事にスリップしてしまいました。

量的に一升瓶というのは、三晩分くらいありますよね。一升瓶を空にした後も、自分で酒を買い続け、元通りののん兵衛にカムバックしてしまいました。

三年前に亡くなりましたが、罪なじいさんです。

後日聞かされたことですが、この方も定年退職後に酒浸りの時期があって、それ以降断酒生活を送っていたそうです。つまりあのお年寄りも酒を持ち帰るわけにいかなかったんです。

酒飲みは例え断酒中であっても、酒を捨てることはしないんですよね。元から拒絶する(買わない、貰わない)か、誰かに押し付けるしかないんです。あの時、僕は押し付けられちゃったわけです。まあ、今となっては笑えるし、貴重な体験でした。

さて二人目ですが、これは実在の人物であるかどうかちょっと定かではないのですが、あるアニメの登場人物です。

だいぶ古い作品ですが「ふしぎな島のフローネ」という児童文学作品があります。「ハイジ」や「フランダースの犬」の後発作品ですね。ある一家がオーストラリアに向かう航海の途中で嵐に合い、無人島に流れ着き、サバイバルの末に生還する物語です。

僕は以前、人殺しばっかりやってる現在のアニメーションに食傷気味となり、昔ののどかな作品ばかりTSUTAYAで借りていた時期がありました。

そんな時に観た「フローネ」ですが、この一家の大黒柱であるロビンソン医師と肥満体の男性患者(恐らく富裕層)とのやり取りが印象に残りました。

「糖尿病ですな」

「糖尿?じゃあ、あの…酒はもう飲めませんかな?」

「酒をやめるくらいなんです?」

「そんな殺生な。酒が飲めなくては生きてるかいがありませんよ」

「じゃ、お飲みなさい。二年以内に死ぬことを保証しますよ」

「そんな殺生な、先生」

「それでは、またいらっしゃい。今日から、お酒は一滴もいけません。いいですね?」

「そんな殺生な、先生。ああ、情けない。お酒が飲めないなんて、あたし、ダメ。もう、ダメ」

なんか東京03あたりにやってもらいたいシチュエーションですけど、このロビンソン医師の取り付く島もない態度が好きで、断酒に取り組む際のモチベーションになりました。

今日もなんか長くなりましたね。まだ書くことがあるんですが、それはまた次回に…。いつまで続くんだろうな、このシリーズ。断酒会って、持ち回りで一人で長々と喋るらしいけど、こんな感じなんですかね。