夜勤明けの空腹時血糖値は122mg/dlです。

今日は良くないな。

 

僕には弟がいます。

あまり人に話すことはないけど、血のつながった弟です。

弟は健聴者で手話は出来ません。

僕自身も幼少時は手話が出来なかったので、これは仕方がないです。

ちなみに母親は健聴者で、父親は軽度の難聴者でした。

手話使いの人間は周囲に一人もいませんでした。

 

弟は若年時は少し自閉気味で、無口でした。

対人コミュニケーションが苦手で、なかなか理解しにくい性格でした。

これは多分に、難聴で捻くれてる兄や酒ばっかり飲んでた親父の影響があって、弟は人間不信になっていたからだと思います。

生きていく上で、落胆を感じる要素があまりにも多過ぎたんだと思う。

それで喋んなくなってた。

母親もかなりワガママなキャラクターだったけど、弟にとっては唯一の心のよりどころだった、と今は思います。

弟の心が壊れかかっているのを察していたのは、彼女だけでした。

僕なんかただ、健聴だし身体のどこも悪くないのに「妙にいじけてる弟」としか見ていなかった。

何か、その辺をきちんと察してやれなくて申し訳なかったなと、今では思います。

あいつはあいつで、色々心配してたんだな、と。

聴こえない兄弟を持つ人のことをソーダ(SODA)というそうです。

今ではもう芸人並みに饒舌ですが、物の言い方が直截的で、時には失礼なことも言います。

僕も直截的だけど、弟に比べれば少しは他人の心情に配慮はします。

まぁ、弟の場合、小さい頃はあまり喋れなかったので、多少ヒンシュクを買ってもいいから、どんどん喋っちゃえ、と兄としては思っています。

 

弟は四年前まで、福岡で掛け持ちのアルバイトをやっていました。

印刷オペレーター とか、フォークリフトの運転とか。

僕に言わせれば「一体、何をやりたいの?」って感じの節操のない生き方です。

それでも、弟は自分のやりたいことを見つけたようでした。

四年前にお盆に帰省した時に、電気工事士の資格と取ったといって資格証を見せてくれました。

広島で働くつもりだと言い、福岡のアパートを出る準備としていると言っていました。

へぇ、その齢から大したもんだ…と思ったもんです。

その時、急にしばらくここ(熊本)に泊まらせてほしいと言い出したんですよ。

さっきまで話していたことと矛盾していたので、僕はダメだと言いました。

弟は少し怖気づいているんだろうと直感したんです。

変に意気揚々と語っていて、誇らしげではあったけど、やっぱり未経験の仕事だし不安だったんだ、と。

「追い返すみたいで申し訳ない」と詫びながら、心を鬼にして弟の背中を見送りました。

それからずっと弟のことは忘れていました。

 

嫁は「(あなたは)弟さんに冷たすぎる」と言います。

そうかもしれない。最低の兄だと思います。

 

でもあの時ためらっていたら、確実にパンデミック発生に巻き込まれて、広島に就職の話もお流れになってたかもしれません。

 

あれは本当に、間一髪だったんだと思います。

 

先日、お盆が過ぎて、広島から冷凍便が届きました。

広島のお好み焼きでした。

何のメッセージもなく、送り状だけの帰省です。

たぶん「オレは元気でやってる」って言いたかったのだと思います。

弟は今も昔も無口な男です。

それは兄である僕が一番分かっている。

こんなこと言っちゃダメなんだろうけど、あいつは僕から離れることが出来て、少しホッとしてるんじゃないかな?

相変わらず、俺は捻くれてるなぁ。

まぁ、向こうで彼女でも作って、楽しくやっていれば良いと思います。

 

PS.熊本のお菓子を送っておきました。

「○○さんへ

広島での生活はどうですか?

お好み焼きを送ってくれてありがとう。

夫婦で美味しくいただきました。

月並みですが、陣太鼓と武者返しを送ります。

仕事が忙しくても、体調に気をつけてください。

いつも応援しています」