8月31日夜勤明けの空腹時血糖値は103mg/dlでした。

 

 

最近、AIを駆使した別のブログを運営してるんだけど、かなり楽と言えば楽。

上質な文章に、揺るぎのない倫理観で構成されたブログは、ランキングチャートを急上昇して、とうとうカテゴリ一位に上り詰めました。

Googleの評価も良かったんでしょう。

で、僕はそいつを読んでないんですね。

今後も読むつもりはないです。

文章について、世間にはある誤解がある。

それは「文章は書く人の心情を表すもの」だと言うことです。

人間には色んな「愛おしさ」があります。

「下らなさ」「嫉妬心」「羞恥心」「傲慢」「自己嫌悪」「自己憐憫」「欺瞞」「怠惰」

こういうものを排していけば、ああいう無味乾燥な文章が羅列出来るんだろうけど。

そこにあなたの居場所はありますか?

日々仕方なくビジネス文書を書くだけの人には、AIはありがたい限りですが、自己表現の手段としてペンを取る習慣のある人にとっては、AIに主体性まで譲る気になれない。

俺は、私は、書きたいことがあって、書いてるんだから、余計な真似をしないでくれ、って言いたい。

「AIを使うと頭が悪くなる」とか言われてるけど、いや僕はそんなことよりも、「どこで自分を吐露するのか?」ってことが気になるんですよ。

やはり、居場所ですね。居場所を確保するためには、人間が自ら声を発していくしかないんですよ。

だから、世の中はAI一辺倒にはならないと思うんですよ。

色々と彼らに奪われて行くものは確かにある。

今はまだ流動的な過渡期ではあるけれど、必ず人間性への回帰がやってくる。

完璧な文章って読んでて疲れるんですよ。

AIの文章を読んでると、「ああ、はいはい」って感じになっちゃう。正しいんだけど、なんかそれじゃない。

人間の文章って、もっとグダグダしてるじゃないですか。話があっちこっち飛んだり、急に愚痴が入ったり、「あ、これ書かなくてもよかったかも」みたいな部分があったり。

中居クンの文章がまさにソレ。彼は墓穴を掘ったけれども、アレこそが人間の書いた文章。

でもそういうのがいいんですよね。自分の首を絞めちゃってるけど、書いてる人の体温が感じられる。

今の世の中、みんなAIに頼りがちだけど、そのうち飽きると思うんですよ。「なんか味気ないな」って。

で、また手書きの手紙とか、下手くそでも自分で書いた文章とかが見直されるんじゃないかな。

要は、効率だけじゃ満たされない何かがあるってことですよね。