1月18日の空腹時血糖値は115mg/dlでした。

実はこう見えてもガチガチのAI信望者で、サブスクなんかも払っていたんですよ。
AIは、生き方に加速がつきます。
古い例えで申し訳ないけれど、宇宙戦艦ヤマトのワープ航法みたいに、自力では到達出来なかったステージへ、サッサッサーとたどり着けるわけで、先日15万字の小説を書き上げて、悦に入っていたわけですよ。
書いた内容も結構ハイレベルで「こりゃぁ、大したもんだぁ」と思った次第なんですが…。
あまり面白くなかった、というか。
喜べなかった、というか。
いや、小説自体は面白いんだろうけど、創作過程が面白くなかった、というか。
だってポチれば出来上がりだろ?
書いていて、あーだ、こーだと思いを巡らせながら、異世界を旅する感覚も無かったし、良いものが書けたとしても、どうせ誰が書いてもこれぐらい簡単なんだろうな、と妙に卑下した距離を置いてしまう。
早い話が飽きたんだと思う。
ネットでAI動画がアップされても、やはりどうも興醒めで、生成動画ではない場合も、そうではないかとスキップしてしまう。
これは僕の体感なんだけど、AIの台頭で、ネット社会の真実味がかなりスポイルされてきているんじゃなかろうか、と感じてるんです。
僕は嘘が嫌いなので、特にそう思うのかもしれません。
正月には亡くなった名司会者M氏がクイズ番組で復活しました。
「故人への冒涜」とか賛否で賑わいましたけど、僕は観なかったです。
理屈ではなく、観る気がしなかったというのが正直なところ。
仮にランディ·ローズやゲイリー·ムーアやエディー·ヴァンヘイレンが何かジャムるような演し物があっても、わざわざ観ないだろうな、と思うわけです。
主体が人ではなく、機械なら何でも出来て当然だろ、という理屈です。
間違っても「スゲーなぁ」とは思わない。
こんなことを言ってる人間は「淘汰される」そうです。
毎日のように、失業や職業消滅のニュースが流れてきて、「適応できない者は置いていかれる」と脅される。
分かってるんですよ。理屈は。
道具は使った者勝ちだし、便利なものを拒むのは愚かだ、という意見も正しい。
でもね、正しさと、楽しさは別物なんです。
僕が創作で欲しかったのは、効率でも成果物でもなくて、「書いている最中にしか味わえない時間」だったんだと思う。
行き止まりに突き当たって、書き直して、削って、また迷って。
その過程で「なんでこんなことを書いてるんだろう」と自問しながら、それでも先へ進む感覚。
あれは不便で、非効率で、誰に褒められるわけでもないけど、確かに“生きている実感”があった。
AIはそこをすっ飛ばしてしまう。
結果は出る。品質も高い。スピードも圧倒的。
だけど、魂が置き去りになる。
だから僕は、一度やめてみた。
AIを否定したわけじゃない。絶縁宣言でもない。
ただ、少し距離を置いただけだ。
自転車を降りて、歩いてみようと思っただけ。
時間はかかるし、息も切れるし、目的地に着けない日もあるだろう。
でも、風景はちゃんと目に入る。
道ばたの石につまずいて、空を見上げる余裕もある。

淘汰されるかもしれない。
時代遅れだと笑われるかもしれない。
それでもいい。
機械に勝つつもりはないし、勝てるとも思っていない。
ただ、人間として面白くありたいだけだ。
嘘じゃない言葉を、自分の速度で書きたいだけだ。
AIをやめてみた。
今のところ、不便で、遅くて、ちょっと楽しい。