コロナのせいにするわけじゃないけど、手話学習の進展がさっぱりの状況です。
どのタイミングで手話サークルに参加しようか、色々と考えすぎて、足が遠のくばかり。
報道機関で手話通訳者をよく見かけるようになりました。そこで通訳者がマスク着用出来ない事情などが話題に上りましたよね。
手話は手の動きだけでなく、表現者の表情や口の動きも重要な情報源となります。
健常者の世界では、ポーカーフェイスでコミュニケーションを取ることが普通です。それならマスク着用でも問題ないと思います。
僕の通っている手話サークルも健常者が殆どで、講師の中に聾唖者が一人いらっしゃるんですが、この人がまた、マスク着用者を見かけると、物凄い剣幕で怒り出すんです。
きっと健常者に聾唖者の立場を教えるつもりでわざと怒っていらっしゃるんでしょうけど、普段から身振り手振りで表現することに慣れているだけに、何か鬼気迫るものがある。
うぁーっ、何で怒られてんの…って感じ。
そういう修羅場に居合わせたくないんですよ。どうも嫌なことが起きそうで足が重い。
もうちょいコロナが落ち着いてから行きたいんだけど、今月は会費の徴収もあるし、出ないわけいかないしなぁ。
サボり過ぎて、もう面倒臭くなってきたというのが、本音なのかな。でもコロナがなけりゃこういう状況もなかったわけで、手話に限らずこういう境遇の人って今多いんじゃないでしょうか?
サボるつもりはなかったけれど、強制的にサボることを強いられて(つまり自粛ですな)、もう何だか面倒臭くなってしまった人。
元々それほどやる気はなかったってことが、ここで露呈したような気分になりがち。解放されてホッとしている自分に気付く。もう一度取り組む意欲も乏しく、代わりの生き方を探し出したりする。
代わりの生き方なんて、そんなことはものはないです。単なる一過性の気分で、今まで築いてきたものを捨てちゃダメ。
次回は必ずサークルに行くこと。
またやり始めれば、そのうち自分を取り戻すってことは確かなんで。