6月29日の空腹時血糖値は119mg/dlでした。

梅雨時には鬱陶しさとは別の悩みが僕にはあります。
別に雨が嫌いではないんだけれども、休日には庭仕事したり、ウォーキングしたり、結構外でやる活動を予定してて「明日はウォーキングの後、あれをやろう、これをやろう」と考えてたのが、早朝の玄関ドアを開けた時、雨だったりすると、モチベーションが吹っ飛んでしまいます。
僕はドアを開けるまで、外が土砂降りだとは分からないんですよ。
単純な話、雨音が聞こえない。
日頃から天気予報など、しっかり気をつけていればいいんだけど、まぁこの分野は生来不得意なんだろうな…いつも人に教えられている。
それでもまだ若い頃は、雨だろうが風だろうが関係なく出かけて行ったんですが、年の功というか、適度にサボることを覚えたというか、外が雨だと簡単に諦めるようになりました。
えぇ…ここまでお読みになって、もうお気付きの方もいらっしゃるでしょうが、今回書くことがないんです。
それでまぁ、せっかく書き出したんだから、今回は音のない世界での天気との付き合い方をテーマにしようかと思います。

難聴者にとって、天気の変化を察知するのは意外と難しいものです。
健聴者の方には当たり前すぎて気づかないかもしれませんが、雨の音、風の音、遠くの雷の音…これらの「音による天気情報」に頼れない生活というのは、思っている以上に不便なことがあります。
特に困るのが、夜中に天気が変わるパターンです。寝ている間に雨が降り始めても、当然気づかない。
特に雷の音に鈍感なのが困りもの。ピカッときたらようやくカミナリだって分かるけど、そうなったらもう時遅し…って感じで。
今まで落雷に遭わなかったのが奇跡。
朝起きて、いつものようにウォーキングの準備をして、玄関のドアを開けた瞬間に「あ、雨だ…」となる。この瞬間の脱力感といったら、もう。
最近はスマホの天気アプリが本当に便利になりました。
1時間ごとの降水確率まで表示してくれるし、雨雲レーダーで雨の動きも分かる。理論的には、これで問題解決のはずなんです。
予報確率も相当向上してるし。
でも、これがまた僕の悪い癖で、見るのを忘れてしまう。
スマホは手の中にあるのに、天気アプリを開くという発想が抜け落ちてしまう。
多分、長年音に頼らない生活をしてきた結果、天気を「予測するもの」ではなく「遭遇するもの」として捉える癖がついてしまっているのだなぁ。
妻が「雨がひどくなってきた」と言っているのに、その時点では何か真面目に聞いていない。
職場で「今日は雨だから早めに帰ろう」と話しているのを聞いて、「え、雨降ってるの?」となる。
何で天気に関しては、僕だけ取り残されるのだろう?
若い頃は、雨に濡れることなんて全然気にしなかった。
むしろ、猛然と出掛けていく自分が、少し自慢だった。
でも年を重ねると、そう単純にはいかなくなります。濡れた後体調を崩しやすくなったり、気分が落ち込んだり、若い頃のように「まぁいいか」で済ませられることが減ってきた。
猛然と飛び出しても、どこかで転倒したり転落したりする可能性が高まってきた。
いや、笑い事じゃなく…。
それと休日の予定の立て方も工夫するべきだな。
雨だと、一日中ごろ寝で過ごすのは、仕方がないとは言え、極端過ぎる。
外出の予定がボツになった時の為に、「プランB」を考えるようにするべきだな。
雨が降った場合の代替案を事前に準備しておく。ウォーキングができなければ家での運動、庭仕事ができなければ室内の片付け、というように。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
あなたは多分、辛抱強い方です。
駄文ばかり読まされて大変でしょうが、今後ともHayaDaysをよろしくお願いします。