今朝の空腹時血糖値は以下です。109mg/dl

今朝はギリセーフです。

 

コロナ以前に書いてたのか、それともコロナ中に書いたのか、今となってははっきりと分からない、書きかけの小説がPCに入ってます。

書きかけの小説は、これまでに山ほどあります。きちんと最後まで書き終えた作品はほんのわずかです。ほとんどの作品が、工程の二割程度書けた時点で、投げ出されています。

投げ出した理由は、今思えば二つあって、一つはプロットと呼ばれる筋書きがいい加減で、あぁじゃない、こうじゃないと脱線を繰り返してしまったこと。脱線してるうちに、これはもう小説じゃないな。ただただひっきりなしに登場人物が増えていくとりとめのない駄作だな…と書くのが嫌になってきたから。

もう一つは僕自身が、一般的な小説の中にあるような、会話や行動をうまく描けなかったこと。

書くこと自体は簡単ですが、読むからに嘘臭くて、書いているうちに自分の小説が嫌いになってくる。

現実では電話での会話も相当苦労してるはずなのに、健聴者が書いたものと同様に、気の利いたセリフやささやき声など、僕が出来そうもないことを書いてしまって、はたして、これでいいのかなといつも疑念を抱いています。

これは潔癖すぎる、窮屈過ぎる考え方なのでしょうか?

単純な話、スーパーマンの原作者は、空を飛べたり、弾丸よりも速く移動できたり出来ないはずです。それでいてああいう作品が書けてる。

ちなみに「silent」の作者さんも医療のバックグラウンドはあるけれど、難聴ではないし、手話も手習い程度らしい。

だったら難聴者の僕にも電話が出来て、3m先の人の話を聞き分ける、当たり前の人物が描けても何もおかしいことはない。でも、なぜかそういうわけにはいかない。

それは何なんだろう?

今回は、まるでバカ田大学の講義みたいだな。

これについて、思い当たることが一つあります。

僕は、リアルな世界において、難聴者が聞こえるフリをして得られるモノは何もないことが身にしみて分かっています。

生真面目な性格が災いしてるんだろうけど、どうもこのあたりで筆勢がプロテクトされて、健聴な登場人物を出演させても感情移入出来ないんです。

加えて一人称の内省的な作品が多いのも、音声言語の世界(とりわけ複数人での口話)に引け目を感じている証拠です。

それで今回のこの書きかけの小説ですけどね。思い切って登場人物の大半を難聴者にしてみることにしました。

まぁ ゾンビ系のホラー物です。

だいたい全員、お互いの会話が聞き取れないもんだから、しょっちゅう人の話を聞き返してるし、手話も使うけど現実社会と同様、通じる相手が限られてるので四苦八苦、という真面目に設定したワリには、どこかコミカルな作品。

ホラー大賞かどっかの公募に投稿して、ボツ確定したらネットで公開しようと思います。ズッコケ文学賞でも良さそうだな。あ、今年はもう締め切り間に合わないか…。

まぁありふれた個人の趣味です。ガンプラを作ったり、油絵を描き上げるのと同じ…。

書きあげたものは駄作でも宝物です。